【茅ヶ崎イシラスの石田智さん】茅ヶ崎丸大魚市場の閉鎖から奮起。いつか茅ヶ崎に一日遊べる市場を作りたい。
(前回の記事はこちら→茅ヶ崎漁港徒歩2分のしらす加工直売所がオープン!茅ヶ崎の水産業を守りたい。)
――― 石田さんは茅ヶ崎生まれ茅ヶ崎育ちですよね。
石田 そうですね。高校を出て水産系の学部を受験したんですけど、受からないまま2年が経ったので20歳で茅ヶ崎丸大魚市場に就職をしました。
――― ということは学生の頃から水産系の道には進もうと思っていたのですね。
石田 うちの爺さんが魚屋で、行商もやってて、船も持っていたんですよ。
その影響もあって自分は魚の研究者になりたいと思って。
でも勉強なんかまるっきりしなかったから、受かるわけがないですよね(笑)
――― それで茅ヶ崎丸大魚市場を選んだ。
石田 家があそこの近くで、当時は活気があったから魚屋のおやじたちがワイワイやってるのを見ながら育ったんですよね。
市場の隣に駄菓子屋があって、よくそこで話をしてました。
――― 市場の役割は、簡単に言えば漁師から魚を受け取って、販売店に卸売りをするということですよね。
石田 そうですね。それをずっとやってきたんですけど、やっぱりスーパーや魚屋さんに卸すためには市場にも独自性が必要になるじゃないですか。
だから2010年前後だったと思うんですけど、その頃にしらすを茹でる釜を入れてくれって会社を説得して、市場が釜揚げしらすを扱えるようにしたんですよ。
↓しらすを茹でる石田さん
――― 選ばれる市場になるために、石田さんが始めたんですね。
石田 そのための設備を整えるのに200~300万ぐらいはかかるから反対もされたんですけど、やってみたら一年で元が取れました。
そういう武器ができると、取引先の会社さんも話を聞いてくれるようになって、仕事がやりやすくなりました。
――― 茅ヶ崎産の釜揚げしらすというのは、それだけ価値があるんですね。
石田 昔は制度があまい部分があって、産地をごまかして売ってるようなところが多かったんですけど、時代の変化とともに厳密になってきたんですよね。
そういう時代の流れもあって、ちゃんと茅ヶ崎産と名乗れる商品、しかも人気のしらすだから、やっぱり求められるだけの価値はあったんだと思います。
――― なるほど。
石田 地物を扱ってもらうためにいろいろ試行錯誤して、スーパーや魚屋さんとよく喧嘩もしながらなんとかやってきたんですけど、今年の4月に茅ヶ崎丸大魚市場が閉鎖になっちゃって。
――― はい。
石田 自分で会社を作ろうなんて気はなかったんですけど、いろいろあって、ちょっと任せてられないということで、ぼくも火がついて。
それで茅ヶ崎漁港の近くに加工場を作ろうという流れになったんですよね。
ずっと一緒にやってきた漁師の皆さんとか、魚卓の卓ちゃんとか、そういう仲間が色々助けてくれて、茅ヶ崎イシラスができました。
↓茅ヶ崎漁港の釣り船やしらす漁船
――― 今後の展望や夢なんかはありますか。
石田 やっぱり市場を復活させたいですね。
ただ今までの魚市場と一緒じゃあまり良くないと思っていて、築地市場みたいに飲食店がその中にあったり、魚屋さんがあったり、地元の農家さんが野菜を売れたり、そういう場所があったら良いなと思いますよね。
――― 茅ヶ崎にそんな賑やかな市場ができたら素敵ですね。
石田 まあ夢はでっかくね(笑)
でも茅ヶ崎は烏帽子岩の周遊船とか、釣り船とか、地引網とか、海水浴とか、そういうたくさんの魅力があるわけじゃないですか。
そういうのとセットで楽しめる市場があったら、それは茅ヶ崎でしか体験ができないわけだから、茅ヶ崎の市外からも人が来て一日遊べるような場所になりますよね。
↓茅ヶ崎イシラスから見える烏帽子岩
【Think Chigasaki】茅ヶ崎イシラスの石田智さん
・第1話 茅ヶ崎漁港徒歩2分のしらす加工直売所がオープン!茅ヶ崎の水産業を守りたい。
・第2話 茅ヶ崎丸大魚市場の閉鎖から奮起。いつか茅ヶ崎に一日遊べる市場を作りたい。
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。東海岸商店会の公式サイトの運営や、ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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