【魚卓の浅見卓也さん】中卒の悪ガキ
(前回の記事はこちら→会話がどんどん生まれるようなことをしていきたい)
――― 浅見さんは中学をご卒業されてから、高校には進学せずに働き始めたんですよね。
浅見 はい。昔は悪ガキで、勉強なんか全然できませんでした。茅ヶ崎の海辺で、浜須賀中と一中の十対十の喧嘩みたいな、そういうことをしてるような子どもでした。
それで、なぜだかはわからないんですけど、僕、当時はみんな高校って行かないものだと思ってたんですよ。
――― 高校は行かないのが当たり前だと思っていた。
浅見 そう。そしたら、みんな高校行くじゃないですか!(笑) 気づいたら受験勉強とかしてるし。当時付き合ってた人がいたんですけど、「え?高校行かないの?」みたいなこと言われてしまって。
その後、学校の三者面談で先生に「お前の頭で行ける高校はない」って言われて。僕は「そりゃそうだ」と思ってたら、隣でおふくろが「どこもないってことないんじゃないですか!」って怒り出して。(笑)
――― はい(笑)
浅見 とりあえず県立で一番学力が低い高校の入試を受けて、数日後に結果発表を見に行って、まあ当然落ちてますよね。
で、発表を見た帰りに他校の不良グループと喧嘩になって、本当なら学校に戻らなきゃいけないんですけど、パトカーで警察署に連れて行かれちゃうし。散々というか・・・まあ、そんな時代でしたからね。
――― 時代のせいではない気がしますが。(笑)
浅見 いやでもね、ビーバップとか流行ってて、「悪いことがかっこいい」みたいな空気があったんですよ。
それで、おふくろから「高校行かないなら働け」って言われて、知り合いの鮮魚を扱う会社に引き取ってもらえて。中学を卒業して、それこそ1週間後から働き始めました。
↓中学生時代の浅見さん(工藤静香さんの大ファン)
――― 15歳から働き始めて、そのまま15年以上勤めたんですよね。途中で辞めようとは思わなかったんですか?
浅見 会社の人たちが気の良い人というか、僕と同じように不良だったような人たちが多かったから、それが良かったんですね。
会社の先輩が近所にもいて、やっぱり元不良なんですけど、毎朝家に来て自転車に乗っけてくれて、会社に連れて行かれるんですよ。
こっちも家にいたら捕まっちゃうから、不良仲間の溜まり場みたいな所にいたら、先輩がそこにも来て。「テメー何やってんだ!」って殴り込みに来るんですよ(笑)
――― すごい。でもそういう人がいなかったら、いま何をしてるかわからないですね。不良グループから抜け出せずに、そのまま職に就かない可能性もあった。
浅見 それこそ中学の頃につるんでいた人の中には、刑務所にいる人も何人かいます。気は良い奴らなんですけどね。
それぞれが働き始めたり、結婚したりして、だんだんとそういうのはなくなっていきましたね。
――― むかし悪ガキだった浅見さんは今や、魚卓の社長だけでなく、雄三通りの安全安心を促進するプロジェクトチーム(雄三通りスマイルプロジェクト)の会長にもなられました。
浅見 いや、ほんとに不思議ですよ。茅ヶ崎で殴り合いの喧嘩してたくせに「スマイル」とか何言ってんだっていうね。安全安心の真逆でしたから。
一時期なんて、PTAの会長やってくれみたいな話まであって、仲間に話したら爆笑されましたよ(笑)
――― 当時を知っている人からしたら、面白いでしょうね。
浅見 でもまあ、僕も魚卓を作って、家族もできて、それなりに色々あって、考え方も変わってくるじゃないですか。これからも茅ヶ崎に住むって考えた時に、どういう街にしていきたいかなーとか考えたりして。
だからその「雄三通りスマイルプロジェクト」の話をもらったときも、良い機会かなとは思ったんですよね。
(次回につづく→魚卓の設立と、裏切り)
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter)
1986年生まれ。2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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