【茅ヶ崎市の佐藤光市長】「既定路線は選ばない。」茅ヶ崎市を改革する市長。
(前回の記事はこちら → 「茅ヶ崎だけに閉じる必要はない。」 湘南×バリアバリューという考え方。)
■既定路線ではない道を選んだ学生時代
――― 佐藤市長の学生時代のお話を伺えますか。
佐藤 もともと街づくりに興味があって、高校生になるときに土木か建築かで迷ったんですね。
兄が土木だったので同じことをしても仕方ないと思い建築の道を選びました。
――― その後、海外の大学に進まれましたよね。
佐藤 はい。当時1988年で、ちょうどバブルの頃だったんですけど、建設業は引く手あまただったんですよ。
当時の同級生はみんな、いきなりゼネコンの現場監督みたいなことやってて。
――― そのまま国内にいれば約束された道は見えていたんですね。
佐藤 それこそ就職が絶好調の時ですから、みんな高校を卒業して車買って遊ぶっていうのが主流でした。
でも、なんか「自分は違うな」と。その時はそんな気がしたんです。
――― 既定路線を選ばなかった。
佐藤 それで中学生の頃からアメリカに興味があって、そちらの大学に行く道を選びました。
周りからは「バカじゃないか」と散々言われましたけれども(笑)
――― アメリカではどんな勉強をされたのですか。
佐藤 アメリカでは教養や建築について勉強をしたのですが、特に「ファシリティーマネージメント」という手法を学ぶことで街づくりに改めて興味がわきました。
ですので、日本に帰ったら自分はその道に進もうと思っていました。
■政治の世界へ
――― まだ政治の話が出て来ていませんが、いつからこの道に進もうと思われたのでしょうか。
佐藤 いざ日本に帰ろうというとき、ちょうど父が選挙を控えていて。
これまで好き勝手やらせてもらったので、その手伝いをしたんですね。
そのときに選挙事務所に来てくれたのが県議会議員の添田高明先生で、先生から「君は政治をやる気があるのか?」と聞かれて。
――― あったんですか?
佐藤 それが全然なくて(笑)
でも、手伝ううちにやるならちゃんと勉強をしたいと思うようになって、紹介していただいたのが、当時の外務大臣の河野洋平先生で。
――― いきなりビッグネームが出てきましたね(笑)
佐藤 河野洋平先生といえば外務大臣、副総理、自民党総裁という要職を務めるような方ですから、そんな方のもとで勉強できる機会なんて普通はないじゃないですか。
――― そうですね。そしてそれが政治の世界に入るきっかけになったと。
佐藤 数年、河野洋平先生の下で勉強をしたあとに今度はご子息の河野太郎事務所に行きました。
――― そのお二人の違いはどんなところで感じられましたか。
佐藤 それが全然違くて、河野洋平事務所っていうのは東京の衆議院会館で、橋本龍太郎先生や小渕恵三先生のようなすごい方々が来られるんですね。
――― 総理大臣級の方々が。
佐藤 一方で河野太郎事務所に入ったときは、まだ衆議院議員じゃないですから地元が中心。
事務所には近所のおじいちゃんやおばあちゃんが来てくださるわけです。
――― たしかに全然違いますね。
佐藤 そうやって地域に根付いた活動の方が後だったので、すごく新鮮に感じましたし、こちらも勉強になりました。
その後、太郎さんが34歳という若さで衆議院議員になられたんですけども、そういう姿を見て自分も本格的に政治の世界に踏み出そうと思うようになりました。
■「責任持てんのか?」
――― その後、県議会議員に立候補されて見事当選されました。そして5期に渡り県議会議員としてご活動をされたと思いますが、特にその間で注力された分野はなんだったのでしょうか。
佐藤 分野というか、議員の提案で条例を作る「議員立法」というのがあるんですね
それを神奈川県議会のなかでは60年以上やってこなかったので、これをやろうと。
――― その議員提案というのは、県民の声を代表して提案するというイメージでしょうか?
佐藤 そうですね。議員がやるべきことなのに、やってこなかった。
最初は先輩たちに、「責任持てんのか?」と言われたんですけど、逆に「先輩たちはそんなに長い間、責任を持っていなかったんですか?」って言って。
――― 学生時代と同様、既定路線を外れたのですね。
佐藤 でも条例が通った後に言われたのは、「実は俺たちも本当は、昔からやりたかったんだよ」と。
それからは毎年のように議員が提案した条例ができていますから、その下地は作れたのかもしません。
■茅ヶ崎は熱量がすごい
――― そうして県議会議員として実績を積んでいく中で、最終的には神奈川県議会議長になられました。その後2018年に茅ヶ崎市長に立候補されたのはどういった経緯だったのでしょうか。
佐藤 やはり議長になると神奈川県下くまなく見る必要がありますから、なかなか地元である茅ヶ崎に帰ってくる時間が取れなかったんですね。
茅ヶ崎に帰ってきたときに、「そろそろ茅ヶ崎に帰ってきたらどうか」という声を多くいただいて、自分としても地元への恩返しがしたかったので市長選に立候補しました。
――― 市長として茅ヶ崎に帰って来られて、どんなことを感じましたか。
佐藤 その、「熱量」っていうんですかね。
やっぱり茅ヶ崎の皆さんは地元愛が強いですから、そこにぐるぐる渦巻く熱量はすごく感じます。
――― 茅ヶ崎市民は街づくりへの関心が強いですよね。
佐藤 はい。そしてそれは市民の皆さんだけでなく、市の職員にも同じことが言えて、みんな熱意があって優秀なので助かっています。
■「必ずやります。」
――― 最後に、所信表明演説の内容について触れたいと思います。まずは子育て世代に向けた施策として、医療と給食については現在どのように考えられていますか。
佐藤 これまで茅ヶ崎では小学校6年生まで医療費の助成をしていたのを、中学校3年生までに延長する。これは必ずやります。
――― 「目指します」ではなく、「やります」ですか。
佐藤 はい、この改革は必ずやります。
議会のご理解もいただけると思っています。
――― 中学校給食についてはいかがでしょうか。
佐藤 これも既に議論を始めています。
担当のセクションを定めて、どういう形でやるのがベストなのか、できるだけ早い段階でお示しできるようにします。
――― 具体的な検討を進めているということですね。
佐藤 はい。
――― あと個人的に気になったのは職員の「働き方改革」のところです。世の中的にも非常に関心の高い分野ですが、どのようにしていくイメージでしょうか。
佐藤 民間で改革が進んでいるところを参考にして、どんどん取り入れてやっていきたいと思っています。
せっかく茅ヶ崎やその周辺の良い環境に住んでいるわけですから、休む時はしっかり休んで欲しいですし、育休やフレックスなども積極的に取得して欲しいと考えています。
休むときはちゃんと休んで、仕事をするときはガッチリやってもらう、そういう感じが良いじゃないですか。
――― ちなみに、市長はしっかり休まれていますか?
佐藤 実は体を動かすのが好きなのでスポーツジムに入会したんですけども、この半年で一回しか行けてないので…もったいないですよね(笑)
――― あの、まずは市長から働き方改革が必要では…(笑)
佐藤 その通りだね…スポーツジム、行きます(笑)
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年に茅ヶ崎市に移住し、2017年に「エキウミ」を立ち上げる。東海岸商店会の公式サイトの運営や、アクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティング、記事の寄稿も行う(SUUMOタウン「まだ茅ヶ崎に行ったことのないあなたへ」)。
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