【博士(医学)の中尾誠利さん】地元企業を大切にしないと、いざというとき地域は踏ん張れない

(前回の記事はこちら → 「非常時に最前線にいるのが医者の務め。」9年間、茅ヶ崎から南相馬に通い続ける原動力とは


■「君はなにもできないから現場に行きなさい」


――― 中尾先生が現在のご活動をされるまでの経緯を伺えますか。


中尾 実はもともと、私は解剖学の教員だったんです。


――― お医者さんじゃなかったんですか。


中尾 医者としてのスタートは、外科ですね。

恩師から「君はなにもできないから現場に行きなさい」と言われ、研修医として外科や小児科の現場に出向したんです。

まあここでは徹底的に厳しいところを経験させていただきました(笑)


――― 相当過酷だったんでしょうね…


中尾 経験を積んだ後に解剖に戻ったら、悲しいかな恩師が定年になっちゃって。

次に来た教授には「もう君は要らないよ」と言われ放浪の旅に出たわけです(笑)



――― それでどうなったんですか。


中尾 あるとき、寒川町にある企業の産業医としてこっちに来たんですね。

寒川と茅ヶ崎の医師会が一緒だったので、その会長さんから「ここの会員としてやっていきなさい」と言っていただいて、自宅会員としてここに住むようになったんです。


――― それで茅ヶ崎に住まれているのですね。いまも茅ヶ崎で産業医をされているのですか。


中尾 そうですね。産業医として茅ヶ崎市役所などの組織を見たり、コンサルタントとして産業医の指導をさせていただいたりしています。

組織に対しては働く環境や働き方のお話をさせていただきつつ、自分の働き方もどうかと思う感じになっちゃっていますけどね(笑)

そうやって南相馬市への交通費を稼がないといけない!わはははははは!(笑)



■人としてできることをする


――― これだけ献身的にご活動を続けて来られた中尾先生が、影響を受けた方などいらっしゃいますか。


中尾 私の家系はもともと長崎の方なんですけど、長崎市にある長照山の浅井圓道(えんどう)先生を師と仰いでいます。

もう亡くなってしまわれましたが、本当にすごい方でしたね。


――― 中尾先生がすごいと言うからには、相当すごい方なんでしょうね。


中尾 圓道先生は、長崎の原爆で自ら被爆したのに、次の日には現地で人助けをしていたんです。

圓道先生曰く、「お経をあげるためじゃなく、人としてできることをするために行った」っておっしゃるんです。


――― 人としてできることを。


中尾 お経をあげるのは手段の一つであって、人を助けることが仕事だと。

寺にあった水を全部持って行って、被災者支援をして、必要なときにはお経もあげて。

自分も被爆しているのにですよ。


――― すごい…


中尾 すごいでしょう?

そういう上人の生き様というか、教えを受けてきたので、自分も自分にできることをしないとって思います。


■地元企業を大切にしないと、いざというとき地域は踏ん張れない


――― 最後に、この「エキウミ」は茅ヶ崎の雄三通りを拠点としているのですが、地域を盛り上げていくにはどんなことが必要だと思われますか。


中尾 まず、地域のお祭りは重要だと思います。

あれって地域の人が集まって、自分にできることをやるわけじゃないですか。

南相馬市でお祭りがあったとき、私はおにぎりの被り物をしておにぎりを配っていたんですけどね(笑)


――― おにぎり(笑)


中尾 その時、それぞれその場にいる人が自分にできることをやるっていうのが大事なんだなと改めて感じました。

なにかあったときには医者としての務めを果たしますが、そうじゃないときは皆さんと一緒になって地域のお祭りを盛り上げるんです。

「中尾ちゃんこれやって!」と言われたら、おにぎりの被り物だって喜んで被りますよ(笑)


↓地域のお祭りで医療ボランティアをしている中尾先生


――― 先ほどの浅井圓道先生の話ともつながりますね。お祭りは地元の企業同士の連携も強くなるイメージがあります。


中尾 それで言うと、強調したいのが地域の信用金庫さんは大事にした方が良いですよ。

なぜかって、東日本大震災のあと南相馬市にあった都市銀行・地方銀行はすぐにいなくなったんですけど、「あぶくま信用金庫」さんだけは残ったんですよ。

当時理事長をされていた半澤さんという方が踏ん張ってくれたおかげで、地域の経済がなんとか回ったんです。


――― 地元企業を大切にしないと、いざというときに地域が持たないのですね。


中尾 そうそう。南相馬だけでも、こういう話はたくさんあるんです。

「相馬ガス」というガス会社が残ってくれたから病院は稼働できましたし、「のぞみケアタクシー」というタクシー会社が残ってくれたから交通手段があったんです。

地域がどんなときも踏ん張るためには、地元企業を大事にしなかったら絶対に無理だと思います。


―――災害は茅ヶ崎も他人事ではないので、今回のお話は大変学びが大きかったように思います。インタビューは以上です。ありがとうございました。


(おしまい)





▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter

2015年に茅ヶ崎市に移住し、2017年に「エキウミ」を立ち上げる。東海岸商店会の公式サイトの運営や、m'no【エムノ】のWEBマーケ、記事の寄稿も行う(SUUMOタウンGyoppy!ARUHIマガジンSPOTほか)。


▼編集アシスタント 青木亨太

1987年生まれ。小学生の頃茅ヶ崎に移住し現在まで25年間を茅ヶ崎で過ごす。幼少期の天然パーマが災いし、リーゼントを語源とした「リーゼン」という珍しいニックネームを命名される。30を超えた今も特殊なあだ名で呼ばれるが、平凡かつ普通のサラリーマンとして日々を過ごす。地域メディア運営に興味を持ち2019年より参加。


▼編集アシスタント 茅ヶ崎ポニーさん

東京板橋生まれ、横浜市戸塚育ち。2014年秋より茅ヶ崎暮らし。私的テーマは「まちとひと」「想いとルーツ」。『茅ヶ崎は 人も道も フラットなところ』が口ぐせ。しごとは、インターネットの企画や営業を10年ほど。ペンネームは小学生時代の弱小野球チーム「ポニーズ」から。


▼編集アシスタント 野口裕貴

「エキウミ」の動画・文章編集班。Web関連企業にてエンジニアとして従事。技術講師として教育事業も行う。現在は都内在住だが、何らかの形で茅ヶ崎に拠点を置きたいと思っている。

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