「特別支援学校を核にして、地域を盛り上げたい。」 茅ヶ崎養護学校の吉田豊校長・上村薫先生が話す“障がいのある子の力”とは
茅ヶ崎に貢献する方を紹介する「Think Chigasaki」。今回は茅ヶ崎養護学校の吉田豊校長と、支援連携グループリーダーの上村薫先生にご登場いただきます。地域社会の一員として障がいのある方々とどう向き合っていくか考えるきっかけになるお話ですので、ぜひ最後までお読みください。
■“共生社会”と“インクルーシブ教育”って…?
――― あの、先に申し上げたいのですが…私は養護学校のことをわかっている自信がなく、もし失礼な質問があったらすみません。
吉田豊 大丈夫ですよ(笑)なんでも聞いてください。
――― ありがとうございます。まず、茅ヶ崎養護学校にはどんな生徒がいらっしゃるのか伺えますか。
上村薫 茅ヶ崎養護学校は小学部~高等部まであって、“肢体不自由教育部門”と、“知的障害教育部門”の児童生徒が計200名程います。
支援が必要な児童生徒がいたとき、その子にとって一番良い教育の場が地域の小学校なのか、特別支援学校なのか、ご本人の実態・ご本人や保護者の方の思いを受けとめ考えていきます。
↓外観
――― その、特別支援学校の教育は、地域の学校とどう違うんでしょうか。
上村薫 たとえば人数で言うと、特別支援学校のクラスは地域の学校に比べて少人数です。
また、日課表も国語・算数・理科・社会・・・というのではなくて、小・中・高で違いますが、子ども達に合った教育課程を考えています。(6学部の学部案内で説明)
――― 体が不自由だけど、学習面で問題がない場合は、どうなるんでしょうか。
吉田豊 本人や親御さんの考え方にもよりますが、なにかしらの障がいがあったとしても地域の学校を選ぶ場合はもちろん多くあります。
一つ言えることは、いまは昔と違って地域が受け入れるように変わってきているんですよ。
――― 地域の受け入れ体制は改善されているんですね。
上村薫 そうですね。”共生社会の実現“や“インクルーシブ教育“という考え方のもと、障がいのある子を地域の中で育てようという考え方は広まってきました。
特別支援学校は、地域のセンター的機能という役割があります。
地域の子ども達にとって、どのような教育がいいのか?どのような支援がいいのか?ご本人、保護者の方、幼保・小・中・高の先生方と一緒に考えています。
――― その、“共生社会”や“インクルーシブ教育”という言葉はよく聞くのですが…つまり、どういうことなのでしょうか。
吉田豊 私の感覚としては、“共生社会”が最終的な理想としてあって、そのために“インクルーシブ教育”が有効な手立ての一つだと思っています。
――― ゴールが“共生社会”で、ゴールするための手段の一つが“インクルーシブ教育”だと。
吉田豊 はい。“共生社会”といっても大げさな話ではないんですよ。
たとえば車いすの方がバスに乗ろうとしているときに、周りが気持ちよく待てることや、もし本人が希望すればサッと手助けするような社会なのかなと。
――― なるほど。偏見や、過剰なおせっかいがないような社会ですね。
吉田豊 ええ。障がいのある方でも、行きたいときに、行きたいところへ行けるべきですよね。
“共生社会”というのは、みんなでそういう社会にしていきましょうということなんだと思います。
――― そしてその“共生社会”の実現に向け必要なのが、“インクルーシブ教育”であると。
上村薫 子どもの頃から一緒に遊んだり、一緒に勉強したりしている事で、別に「特別大きな違いがあるわけじゃないんだ」ということがごく自然に受け入れられると思うんですね。
そのために特別支援学校はもちろん、小学校や中学校、高校でなにができるのか、地域ぐるみでなにができるのかということを考えていけたら良いと思います。
こうしてお話を聞きに来てくださっていることも大きな力になります。
↓体育館
■障がいを持つ方が地域とつながる意義とは
――― 地域ぐるみの大切さを理解した上であえて問いたいのが、時代的には地域のつながり意識が薄らいでいますよね。そもそも個人が地域とつながる意義自体がイメージしづらくなっている気もするのですが、その辺りいかがでしょうか。
上村薫 それは、こういう風に考えたいなと思っています。
「障がいのある方が地域と繋がりたがっている」というよりも、「地域が障がいのある方を必要としているところもある」「障がいがある、なしではなく、みんなが地域で生活している」と。
――― なるほど…。
吉田豊 これは私の勝手な理想なんですけども…「特別支援学校を核にして地域を盛り上げる」ことができないかなと。
うちの子たちが地域のために活動することで、地域の人たちを結びつけ合う。
たとえば、人生100年といわれる中で引退後のシニアが活躍する場もつくれるかもしれないとかですね。
――― たしかに、障がいのある方向けのボランティアをする人は、「むしろ与えてもらうモノの方がはるかに大きい」と言いますよね。
吉田豊 そうですね。これは私たちの反省なんですけども、特別支援学校はずっと学校の中で閉じこもってやってきたんですよ。
これからはどんどん地域と一緒になって、「こんな授業もできる、あんな授業もできる」ということをやっていきたい。
在学中だけでなくて卒業後も、この茅ヶ崎が子どもたちにとって素敵な場所になって欲しいですし、そういう風にしていきたいと思います。
↓校内
■戸惑いの毎日の中、見つけた“子どもの力”
――― ところで、吉田校長はなぜ特別支援学校に関われるようになったのですか。
吉田豊 実はもともと、中学校の社会科の教員になるつもりだったんです。
それで試験を受けたら、「特別支援学校はどうですか」と言われて。
それまで障がいのある方との接点はなかったので迷いましたが、チャレンジしてみようと思い特別支援学校の教員になりました。
――― それまで障がいのある方との接点はなかったんですね。
吉田豊 そうなんです。ですから特別支援学校のことはなにも知りませんでした。
私の勝手なイメージとしては、車いすに乗っているけど地域の学校と同じような勉強を教えることを想像していたんです。
でも実際に担任になったのが、体重が10キロほどしかなくて、体も緊張が強くてこわばり、食事も1人でとれないお子さんで。
――― 想像と現実にギャップがあった。
吉田豊 ええ、恥ずかしながらカルチャーショックで、大いに戸惑いました。
社会科の教員のイメージから一転、特別支援学校の教員になってみると、ご飯を食べるとか、排せつ指導をするとか、一緒にトランポリンに乗るとか、実際はそういうことをするわけです。
最初の頃は、「教員の仕事ってなんだろう、自分になにができるんだろう」と悩んだ時期もありました。
――― どうやって乗り越えましたか。
吉田豊 さっき言った10キロの子が、最初の三ヶ月は体がこわばっていて、うまくご飯を食べさせることもできなかったんです。
それがあるとき抱っこすると、「ズン。」と重みを感じて。
はじめて私に体を預けてくれたということがわかったとき、その時の腕の感覚をいまでもよく覚えているんですけど、「ああ教師にしてもらえた」という感覚を得られて。
――― 信頼して、体を預けてくれたんですね。
吉田豊 はい。そのとき、教師というのは「子どもが教師として認めてやっと教師になれる」っていうことを学ばせてもらいました。
私なんかはその出来事を支えに特別支援学校の教員を三十数年やってくることができたようなもので、逆に言えば子どもたち一人ひとりにはそれだけの力があるということなんです。
いまは校長という役割なので、上村先生や他の先生たちにもそういう瞬間を経験してもらえるように頑張っていきたいと思っています。
――― 上村先生は、なぜ特別養護学校に関わるようになられたのでしょうか。
上村薫 私はもともと中学校の教員だったんですけど、あるときから「教員として自分になにができるんだろう」と考えるようになったんです。
そんな時、特別支援学校の教員の話があって、いちから挑戦してみたいと思いました。
――― 新しい環境はどうでしたか。
上村薫 知的障がいといってもいろんなお子さんがいて、なかには自傷の傾向があるお子さんもいましたからその子を守るために気が抜けないこともありました。
吉田校長と同じく最初は戸惑ってばかりだったとき、生徒の親御さんが「かわいいと思って接してくれているのが伝わるから、それで十分!」と言ってくれて。
――― 親御さんの言葉で救われたのですね。
上村薫 はい、その親御さんの言葉は今でも支えになっていますね。
子どもたちや保護者、地域の皆さんが、私を教師として育ててくれたという思いが強いです。
――― お二人とも周囲に感謝をしながら特別支援学校で勤められていることが良くわかるお話でした。インタビューは以上です。勉強をさせていただきありがとうございました。
(おしまい)
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▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年に茅ヶ崎市に移住し、2017年に「エキウミ」を立ち上げる。東海岸商店会の公式サイトの運営や、アクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティング、記事の寄稿も行う(SUUMOタウン「まだ茅ヶ崎に行ったことのないあなたへ」)。
▼編集 井上普文(Facebook)
三重県出身。2014年に茅ヶ崎市に移住。コミュニティバスに貼られていたポスターを見てエキウミの読者に。茅ヶ崎で暮らす者として、茅ヶ崎のヒト・コトをもっと知りたいと思い「エキウミ」に参加。
▼編集アシスタント 権藤勇太
エキウミインタビュー担当。平日は都内で法人向けの業務改善提案を行う営業マン。休日は緑に囲まれた茅ヶ崎で畑をいじったり、キャンプしたりフットサルをしたりのんびり生活をしている。消防団に入ったことをきっかけに、自分が使うお金がどこに流れて回っていくのか興味をもち商店街の活性化に2018年参加。
▼編集アシスタント 堀達也(Facebook)
1987年生まれ。平塚在住。2018年よりエキつくに参加 。大学卒業後、社会保険労務士事務所を経て藤沢の企業で総務経理として裏から支える仕事に従事。休日はホームページ制作のボランティアをしたり、パン屋巡りをしたり。カレーパン大好き。美味しいカレーパンを与えるとすぐになつく…かも。
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