【株式会社声音の飯室佐世子さん #1】都心のフリーライターから湘南移住と起業。全力を出せる環境を求めてたどり着いた、ゆとりのある生き方とは?
平賀(インタビュアー):2021年までは都内でフリーランスのライターとしてご活躍されていましたね。
飯室佐世子さん(以下、飯室):フリーランス時代から、取材記事を中心に執筆していました。当時は求めていただいたら応えたい一心で、ほぼすべての案件を引き受ける仕事スタイルでしたね。会社のように営業時間や休日を設定していなかったため、気づけば朝起きた瞬間からPCを開き、深夜まで働く日々。「今頑張らねば」という思いが強く、都心の空気感や一緒に働く方々の仕事観も相まって、深夜2時に「朝6時までにお願いします」と連絡が来ても、対応していました(笑)。
平賀:うわぁ。かなりのハードワークですね。
飯室:フリーランスが悪いわけではなくて、自分のキャパを理解して仕事量を調整したり営業時間を決めたりすればいいものの、私の性格的に強い理由がないとできなくて。自分の意思で働き詰めのループから抜け出せるとは思えず、環境を変えることにしました。最初は就職を視野に入れていたのですが、業務委託先の代表から「仕事は入ってくるんだから、法人化したら?」と背中を押してもらい、株式会社声音を設立しました。
■「声を、遺していく」思いを社名に
平賀:株式会社声音。素敵な社名です。
飯室:ありがとうございます。フリーライター時代は大変ではあったものの、たくさんの人の話を聞き、書く経験ができました。その中で自分の仕事は、書く以上に聞く仕事であると思うようになったんです。執筆にあたっても、読者の頭の中でインタビュイーの声が再生される文章を意識しています。私が大切にしたいのは「声を、遺していく」ことだと気づき、声音という社名にしました。社員が加わった今も、主にインタビュー記事の企画、取材、執筆を行っています。
■茅ヶ崎へ移住
平賀:起業して生活は変化しましたか?
飯室:法人の看板があることで、少しゆとりをもてるようになりました。ただ、やっぱり「いかに早く、たくさん働くか」の方向になってしまって……。都会という24時間街が動いている中で、働かない不安がどうしても拭えなかったんですよね。さらに人が多い状況も、行き交う人の喜怒哀楽を感じ取ってしまう私にはいつしか情報量が多すぎると感じるようになりました。自分が全力を出せる環境を整えたいと思い、起業から半年後に茅ヶ崎に移住しています。
平賀:茅ヶ崎を選んだのはなぜですか?
飯室:都心から少し離れつつもアクセスしやすい場所の中で、クリエイティブが好きな人や地域のために何をやりたい気持ちがある人など、人生に前向きな人たちがいる場所がいいなと思いました。候補の一つとして茅ヶ崎を見に来たのですが、駅に降り立った瞬間にこの辺に住もうと決めましたね(笑)。時間の流れ方が違うなと思ったんです。遅いわけではなく、違う。言葉にするのが難しいですが、この空気感は沖縄かハワイまで行かなければ存在しないと思っていたので、首都圏にあるんだ!という感覚でした。バスに乗った時に運転手さんがお年寄りの乗降を優しく待っていて、乗客も含めみんながせかせかイライラしていないんだなというのも印象に残っています。街で日々接する人のゆとりが自分の感覚と合うかは暮らしのストレスを左右するので、決め手の一つになりました。
平賀:実際に住んでみていかがですか?
飯室:想像通り、前向きな方が多いなと感じています。それから心地よい距離感の方が多いですね。無理に踏み込んではこないけど、壁も作られていない。例えば飲食店の店員さんもグイグイ話しかけてはこないけど、こちらから声をかければ応えてくれそうな表情でいてくれる方が多いと思います。いつか地域の仕事をしたり地域の方々と何かを作ってみたいと考えていたので、住む場所に愛着があり、関わり方が心地よい仲間と出会えるかは大切でした。移住して1年が経ったので、そろそろ地域に関わることをしていきたいと思っています。
平賀:生活やお仕事スタイルに変化はありましたか?
飯室:息抜きに海へ夕日を見に行こうと思えるようになったのは大きな変化です。都内にいたときは「休憩=覚醒させるためにコーヒーを飲む時間」だったんです。外が明るいのか暗いのか寒いのか暑いのかがわからなくなるほど缶詰めで働いていた私に、リラックスという概念が生まれた気がします。海まで行かずとも、広い空を見て深呼吸ができるようになりました。
(次回につづく→自分の人生に感動し、大切な人に声を遺してほしい。オリジナルBOOK制作サービス『人生のベスト盤』に込めた思い。)
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