【chigasaki0467の高沢祐次さん】お先まっくらの連続を乗り越えて、マーケティングとヘヴィメタルで茅ヶ崎を盛り上げる。
(前回の記事はこちら→chigasaki0467を運営。日本初のBtoBtoC型 地域活性私設PR局。)
――― 高沢さんは広告代理店で営業・コンサルをされているということですが、最初からその仕事だったのでしょうか。
高沢 いえ、最初はまったく別のことをしていました。
ぼくは経営学部を出ているんですけど、就職活動ではコピーライターとかクリエイターになりたいと思って広告会社ばかり受けていたんですね。
――― はい。
高沢 でも大手企業は全部落ちて凹んでいたんですけど、静岡が本社の広告会社から内定をいただけたんです。
コピーライターに憧れていたんですけど、入社前に会社からは営業をすすめられたんですね。
会社が言うには、「営業でもコピーをかいたりクリエイティブを考えたり、そういうことをトータルで考えられるから、まずはそこからやりなさい」っていうことでした。
――― 「まずは営業から」という会社は多いですよね。
高沢 実際、コピーライターの枠っていうのもほとんどない時代でしたので、なんとか「営業」としての自分をイメージして納得したんです。
それで入社をしたんですけど、いざ入ってみたら「印刷工場の工員」ということになってて。
――― あれ、営業でもないですね(笑)
高沢 そうなんですよ!
というのも、その広告会社は印刷会社から始まった経緯があったので、自社工場を持っていたんですね。
それでどういうわけかぼくはそこの配属に決まりまして。
だから、「コピーライター」志望だったぼくは、なんとか自分を納得させた「営業」にもなれず、「印刷工場の工員」になったんです。
↓工員時代の高沢さん
――― それは、いま考えれば良い経験かも知れませんけど・・・
高沢 もう当時は目の前まっくらですよ(笑)
いまとなっては話のネタになりますけど、当時は腐りまくってましたね。
あ、念のためですけど、工員がダメという話ではまったくないですよ。
――― コピーライター志望なのに・・・ということですよね。
高沢 はい。でもそんな気持ちとは裏腹に、新人なのにどんどん出世しちゃいまして。
なぜか印刷機器の機長になることになり、腐ってるくせに部下までできて(笑)
油まみれの手で六角レンチを握りしめる自分の姿を見ながら、どんどん夢が遠ざかっていくのを感じましたね・・・
――― そこで大抵の人は、その環境で自分を納得させる道を選ぶと思うんですけど、そうはならなかったんですね。
高沢 もう「絶対抜け出してやる」って思って、コピーライターの通信講座とか受けていました(笑)
でも通信講座に渾身のコピーを送ったら、添削者から帰ってきた紙に「67点」とか書いてあるんですよ。
いま思えばそりゃそうだっていう内容なんですけど、当時は若さゆえの謎のプライドがあったもんですから、「コイツなんもわかってねーな」ってブチ切れてすぐやめました(笑)
――― 若気の至りというか、視野が狭いと「オレの方が正しい」って思っちゃいますからね(笑)
高沢 しばらく工員をやって、ようやく営業に異動というチャンスがやって来たんですね。
私は地元が茅ヶ崎ですから東京とか横浜配属が良かったんですけど、実際は群馬になったんです。
また希望が通らなくてがっかりしましたし、なによりエリアを統括している方が、一番厳しいと噂されていた鬼のような方だったので、また目の前がまっくらになりました(笑)
↓営業時代の高沢さん
――― また(笑)
高沢 噂通り厳しかったですが、学びが多かったです。
ただ、営業になってだんだん広告業界の人たちと関わるようになったら、いろんな方から「広告業界でやっていくなら東京にいないとだめだよ」って言われることが増えて。
それでどうせなら新しい潮流に身を置きたいと思って、当時で月間1億PVを超えていた楽天の広告代理店部門に転職をしたんです。
――― 当時の楽天は相当ハードだったんじゃないですか。
高沢 そうですね、働きすぎて体重が10kgぐらい減りました。
ただECダイレクトマーケティングについていろいろと学ばせてもらえたのはいまでも財産と思っています。
楽天では2年働いて、その後いまの廣洋社という総合広告会社に転職をしてから14年が経ちます。
――― 14年もいるということは、やりたいことができているんですね。
高沢 そうですね。クライアントのブランド構築やプロモーション、広告、CRM、リアル店舗とのつなぎこみや海外展開など幅広くやらせていただいています。
業界としては化粧品や美容機器分野ですので、そういったマーケティングの手腕が非常に問われます。
――― 化粧品はマーケティングが売上に直結する世界ですよね。
高沢 おっしゃる通りで、ブランディングと広告レスポンスのバランスをどうとるか、というところが難しいところですね。
でもそれって地域の個店でも両方大事なことだと思っていて、ぼくが一番もしかしてやりたいのは、地域のお店、つまり広告宣伝に多くのお金がかけられない事業者さんが、ちゃんとブランドを作って、売上も上げるっていうことかなとよく思うんです。
――― なるほど。
高沢 地域活性化って究極のところ経済的な部分だと思うんです。
街が元気になるというのはやっぱり商店街のお店にちゃんとお金が落ちる、市民も魅力的なお店に行くことができるっていうことだと思うんですよね。
↓記事にもなったchigasaki0467の活動(タウンニュース茅ヶ崎版より引用)
――― はい。
高沢 私は梅田中学校が母校なんですけど、エメロードで同級生とか先輩がお店を経営しているのを見ていて、自分になにかできることないかなってやっぱり考えますよね。
例えばブランディングや売上につながる情報発信や広告クリエイティブの方法をパッケージ化して、「これさえあれば自走できちゃいます!」っていうことができたら喜ばれるんじゃないかなって思ったりします。
――― 個店のマーケティング支援パックですね。とても良いと思います。
高沢 そういうことができるようになるためにも、chigasaki0467をブランド化していきたいと思っています。
ただの情報発信媒体ではなくて、chigasaki0467の冠がついている商品があるとか、chigasaki0467のセレクトショップとか、そういう媒体だけではない活動の広がりができてくればなと思っています。
――― 最後に、この「エキウミ」は雄三通りを拠点としているのですが、雄三通りがより良くなるアイディアをいただけますか。
高沢 雄三通りはアートで交通安全の啓蒙をされているじゃないですか。
それで思ったんですけど、他にも交通安全マナーの意識を上げる方法ってあると思うんですね。
例えば、「交通量の多さに対する事故率」を調べたときに、仮にそれが低いとしますよね。
それを上手にPRすることで、「雄三通りは交通量が多いのに安全!」ということがテレビとかで取り上げられたら、結果的に通る人がより意識してくれると思うんです。
トイレに「いつもきれいに使ってくれてありがとう」と書くのと一緒の理屈なんですけど。
――― なるほど!たしかに「安全に通るべき道だ」ということを意識付けできたら、よりそうなっていくということはありそうですね。
高沢 他にもリサーチするといろいろと見えてくるかも知れませんよね。
あ、最後に、ぜひみんなに聞いて欲しい曲があって・・・「HAMAORI」っていうんですけど。
↓HAMAORI ※音量にご注意ください
――― これは・・・茅ヶ崎市長が手に持っていたアレですね。
高沢 はい、アレです。
↓アレ
高沢 この「HAMAORI」はその名の通り浜降祭をテーマにした曲なんですけども、茅ヶ崎は北と南の分断がなんとなく起きがちな中で、浜降祭は北も南もなく強者が集うというお祭りじゃないですか。
そんな浜降祭を、オリンポス16闘神さんと共に愛するヘヴィメタルで表現させていただきました!!
――― なるほど・・・!! ヘヴィメタルがお好きなんですね。
高沢 ヘヴィメタルがなければいまのぼくはいないと言っても過言ではありません。
お先まっくらなことの連続でしたけど、ヘヴィメタルが唯一の救いでした。
ここまでこれたのも、すべて、ヘヴィメタルのおかげです(笑)
――― あ、なるほど乗り切れたのは努力とかじゃなかったんですね。ヘヴィメタルのおかげだったんですね(笑)
高沢 はい、間違いなく努力ではなくヘヴィメタルのおかげです(笑)
――― よくわかりました。これからもchigasaki0467とヘヴィメタルで、茅ヶ崎を盛り上げていただければと思います。インタビューは以上です。ありがとうございました。
【茅ヶ崎を伝える人】chigasaki0467の高沢祐次さん(Instagram/Facebook/Twitter)
・第1話:chigasaki0467を運営。日本初のBtoBtoC型 地域活性私設PR局。
・第2話:お先まっくらの連続を乗り越えて、マーケティングとヘヴィメタルで茅ヶ崎を盛り上げる。
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。東海岸商店会の公式サイトの運営や、ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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