【日本音楽制作者連盟の安部次郎さん】好きなことでインプットし、飯のタネをつくる。「ブレッド&バター」のマネジメントに奔走した20代。
(前回の記事はこちら→一番矢面に立つ実演家の権利を守る。著作隣接権の普及に従事。)
――― 以前、キャラクターデザイナーのRYU AMBEさんにお話を伺ったとき、次郎さんから「30歳までは何をしていても良い。好きなことを見つけて、インプットをたくさんしろ」という言葉をかけてもらったとおっしゃっていました。
安部 はい。それはいまでもそう思っています。
ぼくも30歳頃までは好きなことしていたので…。
――― 次郎さんはどんなことをされていたのでしょうか。
安部 大学三年生のとき、茅ヶ崎に「ブレッド&バター」というお店があって、そこでアルバイトをしていたんですね。
そこは音楽好きが集まるような場所で、ライブをやろうとか、東京からも色んな人呼んでみようとか、そんなことをしながら音楽業界に入っていったんです。
――― はい。
安部 その頃に南佳孝さんが、「ローリングサンダーココナッツ」という今では伝説のコンサートに出演する事になって、一緒に来ないかと誘っていただいたんですね。
そこには僕が憧れていたジョン・セバスチャンやスタッフなどのUSミュージシャンが多数出演していて、バックヤードに居たので、錚々たる面々のかっこいいシーンが目に焼き付いてしまって、「あぁ、 やっぱオレこのバックステージにいたいわ」って。
そのうち兄弟デュオの「ブレッド&バター」の活動再開の話が出て、ぼくが22歳だったのかな、どういうわけか一緒に会社を作ることになって、30歳ぐらいまで彼らのマネジメントとかプロデュースの仕事をしていました。
――― 22歳ということは、大学卒業で社会人を始めますという瞬間に、会社を作っちゃったっていうことですよね。
安部 いま考えるとめちゃくちゃですよね。大した経験もないのにね(笑)
――― たしか次郎さんは慶応義塾大学にいらしたんですよね。周りは大手企業に勤めたりしていたんじゃないですか。
安部 そうですね、一緒にやっていた仲間もいたんですけど、だんだんと就職活動で離れていっちゃいましたね。
あと家もサラリーマン家庭だったので、親からは「何やってんの?」っていっつも言われていましたし(笑)
――― そうですよね。
安部 でも自分はもう音楽の世界にハマっちゃったもんだから、単純に、最高に楽しいことがしたいなって。
それですぐに飯が食えるかって言ったら確信はないんだけど、たぶん若かった分「これだ!」って思ったところに入っていけたんでしょうね。
――― そこから30歳頃までその仕事を続けたんですね。
↓当時の安部次郎さん
安部 そうですね。ブレッド&バターは湘南サウンドの一つとして認知されていたり、ユーミンさんとか色々な方々の協力をもとにアルバムを作ったりして、それでなんとか飯を食える感じにはなれていました。
ただやはり何でもそうですけど伸び悩む時期があるじゃないですか。
そのあともアルバムを作るんですけど、何かもう一つ越えられない感じがあって。
――― はい。
安部 そんなとき、スティーヴィー・ワンダーから楽曲提供してもらえる事になって。
それには事情があるのですが、もともとは、ブレバタの兄の岩沢幸矢氏がスティービーから”I Just Called To Say I Love You”を提供してもらってたのです。それが・・・
――― ちょっと待ってください。あの”I Just Called To Say I Love You”ですか?
安部 そうそう(笑)あの曲は最初ブレッド&バターが歌うはずだったんですよ。
あの曲にユーミンが歌詞をつけて、細野晴臣さんが編曲をして、演奏はYMO。
あとは出すだけっていうときに、スティーヴィーのマネージメントからストップがかかって。
――― なんと。
安部 その理由は自身で歌いたいという事でした!
でも良かったですよ。本人が歌って、世界的大ヒットとなったわけですから(笑)
↓スティーヴィー・ワンダーの後ろに立つ安部次郎さん
安部 そのあと代わりに別の曲をブレッド&バターのために書くからっていうことでレコーディングにも立ち会ってくれて、おかげさまで良い曲になったし、「さぁこれでワンランク上に行くぜ!」と盛り上がって、いざ出してみたら・・・うーん、っていう。
――― 期待以上の結果にはならなかったんですね。
安部 ここまでやって、そうか、と。
それでこの後どうするという話し合いをして、一回ここでマネジメントを変えてみるということになり、ぼくはその仕事を終えたんです。
――― そこから前回お話を伺った、パフォーマーの権利を守るために音制連(日本音楽制作者連盟)の仕事に移っていったのですね。
安部 はい。いま話したように、ぼくは30歳までは好きなことをただひたすらにやって、そのときのインプットがやっぱりその後の飯のタネを作ってくれたと思うので、子どもたちにもたくさん好きなことをやって欲しいなと。
もし30歳になったとき形になっていなくても「辞めろ」とは言わないけど、ただ、どうしても「何をメインとして飯を食うのか」は必要になっちゃうから、その覚悟を持っていれば人生好きなようにやるのが一番良いのかなと思います。
――― よくわかりました。次回の最終話では、RYUさんのマネジメントをしている事務所「Childish Mind Designs」のお話や、今後の展望について伺いたいと思います。
(次回につづく→ 週二日東京勤務、ほぼ毎日サーフィンという、茅ヶ崎の暮らし。)
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【湘南・茅ヶ崎で暮らす人:日本音楽制作者連盟の安部次郎さん】
・第1話 一番矢面に立つ実演家の権利を守る。著作隣接権の普及に従事。
・第2話 好きなことでインプットし、飯のタネをつくる。「ブレッド&バター」のマネジメントに奔走した20代。
・第3話 週二日東京勤務、ほぼ毎日サーフィンという、茅ヶ崎の暮らし。
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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