【スーパーたまやの原浩仁さん】味の素、CGCでの修行を経てたまやへ。「社長のせがれが来た」
(前回の記事はこちら→あめ玉屋から始まったスーパー。105年の信頼と実績。)
――― 原さんは茅ヶ崎のご出身でしょうか。
原 はい。茅ヶ崎で生まれて、茅ヶ崎で育ちました。
父はスーパーたまやの三代目社長でしたが、私は次男ですし、長男がスーパーに勤めていたので、大学生になるまでは兄が継ぐと思っていました。
――― はい。
原 就職活動をするとき、兄から「ちょっと良い?」って呼ばれて、「あとは頼んだ」 と言われて(笑)
どうやら兄にスーパーの仕事はあまり合わなかったみたいで、いまでは奄美大島に住んでいます。
「エキウミ」さんの記事でプレンティーズの長谷川さんのお兄さんが旅人という話がありましたが、私の兄もそういうタイプの人だったみたいです。
――― そこで人生ががらっと変わったのですね。
原 突然のことでしたが、腹を決めていつか継ぐときに活かせる経験をしようと思い、総合食品メーカーの味の素に入社しました。
家庭用第一グループという部署で、スーパーの棚取りをする営業をしていたのですが、その経験はいまでも活きていて、商売の川上から川下という縦の流れが理解できるようになりました。
――― そこでは何年ぐらい勤めたのでしょうか。
原 味の素では5年間勤めて、その後にCGCに転職をしました。
CGCというのは全国の中小スーパー220社4,000店舗が加盟している組織で、そこで共同の商品開発や物品の購入などをすることで、地域に根ざしつつも大手に対抗するようになることを目的としています。
味の素では縦の流れが見れたので、今度はCGCで横の他店スーパーを見る機会ができました。
↓味の素時代の原さん
――― 他店スーパーの経営が見れるということでしょうか。
原 各スーパーの全ての階層に横串が指されていて、経営者会、商品部長会、バイヤー会などがあり、各階層の知識が得られました。
加えて私と同じ経営者の卵という境遇の人もいて、その人たちがただの競合としてではなく、同僚というか、仲間として繋がっていられることは今でも財産です。
――― それは良いですね。CGCのあとに、たまやに入ったのでしょうか。
原 はい。CGCでは3年間勤めたので、たまやに入ったのは30歳のときです。
まずは各現場に入り、2-3年ぐらいかけて各部署をまわりました。
――― 周囲はどんな反応でしたか。
原 やっぱり「社長のせがれが来たぞ」ってなりますよね(笑)
こちらも30歳で若いので虚勢をはっている部分もあって、最初は周りが腫れ物に触るような感じにさせてしまっていた部分もあったと思います。
入社して半年ぐらいした頃に、「なるようにしかならないよな」っていうある意味開き直りの境地というか、それに気づけてからは自然体でいられるようになりました。
その後役員を経て、37歳のときに社長を継ぎました。
(次回につづく→「湘南・たまやベルト構想」と「湘南・茅ヶ崎の塩構想」)
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【雄三通りで会えるあの人:スーパーたまやの原浩仁さん】
・第1話 あめ玉屋から始まったスーパー。105年の信頼と実績。
・第2話 味の素、CGCでの修行を経てたまやへ。「社長のせがれが来た」
・第3話 「湘南・たまやベルト構想」と「湘南・茅ヶ崎の塩構想」
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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