【デイリーポータルZの安藤昌教さん】原子炉の研究者で、氣志團のバックダンサー
(前回の記事はこちら→自由に、ふざけていたって生きていける)
――― 安藤さんのご出身はどちらですか。
安藤 出身は愛知で、大学のとき石川県に移り住みました。
大学ではヨットと研究の毎日で、具体的には風の流れが建物に与える影響について調べていました。
福井県には「もんじゅ」という高速増殖炉がありまして、そこでナトリウムで温度計が折れたという出来事があったんですけど、それの研究をしていました。
――― ちょっと前回の「ふざけて生きていく」話との温度差がありすぎてついて行けていないですが、安藤さんはもともとまじめな方だったのですか。
安藤 どうなんでしょうね(笑)
ただ今も昔も変わっていないのは、「好きなことをして生きる」ということかも知れません。
ぼくは新しい技術とか、宇宙とか深海とかそういう未知の領域について知ることが大好きなので、当時の研究もその類のものでした。
――― なるほど。
安藤 大学院まで研究を続けて、卒業後は核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)に入りました。
原子力発電自体はそんなに好きではなかったんですけど、エネルギーを作り出すということについてはすごく大事なことだと思っていて、例えば太陽って核融合を繰り返しているんですけど、そういうことはまだ地球上にはないんですね。なので・・・
――― あの、ちょっと待ってくださいね。まだ「むかない安藤」と今のお話のギャップを埋められていないのですが・・・
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――― こうしてお話を伺っていると「むかない安藤」にも何か高尚な思想を感じてきました。
安藤 「むかない安藤」は、ただただふざけているだけですよ(笑)
ただそのギャップの話でいうと、原子炉の研究をしている頃にターニングポイントというか、人生を変える出会いがありまして、それがきっかけである日から剃りこみパンチパーマで研究をすることになるのですが、そのあたりがイメージの溝を埋めてくれるかも知れません。
――― 原子炉の研究員から、パンチパーマの研究員というステップを経て、いまの「むかない安藤」になると。
安藤 なぜパンチパーマになったかと言うと、氣志團の綾小路翔さんがきっかけでした。
ぼくは氣志團のことを初めて知ったときに衝撃を受けまして、彼らのライブを写真に収めたいと思ったのですね。
連絡したら「一度来てください」ということだったので、カメラの機材とかポートフォリオを持って訪ねたら、部屋に案内されて。
――― はい。
安藤 ドアを開けて入ったら、翔さんが座っているわけですよ。
「あー翔さんがいる」と思うじゃないですか、そしたら「ダンス踊って」って言われて。
――― え?
安藤 ですよね。ぼくも同じこと言いました(笑)
部屋の中を見たら5人ぐらい座っている人がいて、どうやらバックダンサーの選考中らしいということがわかってきました。
それで、仕方ないから踊りましたよ。
――― 踊ったんですか?ライブ撮影の交渉に行ったんですよね。
安藤 そうですね。完全に翔さんの悪ノリだと思うんですけどなんですけど、もう踊るしかないじゃないですか(笑)
周りの人たちはディズニーで踊っていましたとか、そういう経験者たちの中で素人の本気を見せてやりました。
――― それで、受かってしまったんですね。
安藤 はい。それで、翔さんは意地悪だからパンチパーマにしろって言うわけですよ。
でもぼくは研究職の公務員で、周りにそんな人いるわけないし、実際職場では上司から「それ、パンチですね」と言われるわけで(笑)
――― そこから人生が変わっていったわけですね。
安藤 なんかこういう可笑しなことができるのって本当に良いなって思っちゃって。
面白いことをして生きていくという考え方を叩き込まれましたね。
(次回につづく→1000年後も「むかない安藤」 )
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▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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