【Plenty's(プレンティーズ)の長谷川裕さん】茅ヶ崎のアイスクリーム屋さんと言えばPlenty’s
「雄三通りで会えるあの人」の2人目は、雄三通りに2店舗お店を構えていらっしゃる株式会社プレンティーズの代表取締役、長谷川裕さんです。様々な飲食店を経験されてきた長谷川さんが、最終的にアイスクリーム屋さんを選んだ経緯や、今後の展望についても語っていただきます。(全4回)
▼長谷川裕(はせがわ ゆたか)さんの経歴
1974年、平塚市生まれ。18歳から様々な飲食店で働き、30歳で株式会社プレンティーズを設立。好きなアイスクリームとトッピングを大理石の上で混ぜ合わせるアイスが人気商品。現在は茅ヶ崎駅南口の雄三通りに2店舗、辻堂のテラスモール湘南、新宿の小田急百貨店にも店舗を拡大している。
――― インタビュー、よろしくお願いします。たしか長谷川さんは茅ヶ崎ではなく、平塚生まれですよね。
長谷川 はい。平塚で生まれて、19歳の頃に仕事で横浜に引っ越して、最終的に茅ヶ崎に来たのはPlenty'sを始めてからです。
――― どうして茅ヶ崎でPlenty'sを始めようと思ったのですか?
長谷川 鎌倉や箱根、藤沢なども見て回ったのですが、茅ヶ崎ならビーチサンダルで歩いてアイスを食べているイメージがすごく沸いたんです。
ただ平塚生まれとは言え、茅ヶ崎のことはあまり知らなかったので、この雄三通りも「海に続く駅前の大通り」だと聞かされて「へーそうなんだ」という感じでした。
――― Plenty'sの本店がある場所は、もともと何のお店だったのですか?
長谷川 もともとは和食器を売っているお店だったんですが、物件を見たときは第一印象でビビビッときました(笑)
飲食店不可という条件だったのに、ダメもとでお願いしに行ったら「アイスクリームなら」ということでOKをもらえたんです。
↓開店当初の本店の写真
――― 想いが通じたのですね。ちなみにPlenty'sという名前の由来を教えていただけますか?
長谷川 名前は看板を作るギリギリまで迷ったんですけど、由来はいくつかあります。
[1] アイスを食べてくれた人の心を豊かにしたい。「豊か」は英語で”plenty”だし、僕の名前も「ゆたか」。
[2]ニューヨークに”Good and Plenty to Go”という好きなお店があった
[3]名前を覚えて欲しいので、省略できない短さにした。
――― 省略されて呼ばれるのは嫌だったんですね。
長谷川 そうですね。ただ最近、「プレンティーズ」ではなく、「茅ヶ崎のアイスクリーム屋さん」と呼ばれていることを知ってショックを受けましたが(笑)
――― それは残念です(笑)逆に言えば、アイスクリーム屋さんの代名詞になっているとも言えますね。
長谷川 2005年3月に開店したので、ここに来るまでに12年かかりました。
当時コールドストーンがアメリカから上陸しそうだという噂を聞いたので、その一年前に急いでアイスを混ぜるスタイルを始めたんです。
↓生チョコスペシャルアイス 460円
――― 当時としてはかなり斬新なお店だったと思います。
長谷川 最初はお客さんも馴染みがないから、アイスを混ぜ合わせるということはキョトンでしたね。
ただ、珍しいだけじゃ当然だめで、そもそもアイスは夏しか売れないと思っていましたので、最初から多店舗展開は考えていました。
30歳で開店したので、40歳までに2店舗、50歳までに5店舗はやりたいと思っていました。
――― 最初からお客さんはたくさん来たのでしょうか。
長谷川 おかげさまで取材の申込みをいただいたり、あとはTVチャンピオン2の「アイスクリーム屋さん選手権」で優勝できたこともあり、じわじわと茅ヶ崎に馴染むことができたと思います。
これは僕の勝手な感覚値ですが、最低5年ぐらいはやらないと、地域に浸透することはできない気がしました。
↓TVチャンピオン2の「アイスクリーム屋さん選手権」の様子
――― 2店舗目は、隣の辻堂駅にある「テラスモール湘南」の中ですよね。
長谷川 はい。6年経って30代も後半戦になってきたので、2店舗を考えていたところ、テラスモール湘南のリーシング会社から電話をいただきました。
僕はお声がけをいただいたことに舞い上がって嬉しかったのですが、今ほど辻堂ブランドがなかった時代だったので、周りは誰一人賛成してくれませんでした。
――― それでも出店を決めたのですね。
長谷川 はい。ただ、そこのオープンが2011年11月で、東日本大震災の年だったんですよね。当時計画停電があって、アイスクリーム屋としては本当にピンチでした。
――― 確かに、それは死活問題ですね。
長谷川 もしかしたら本店が潰れちゃうかもって時に、2店舗目を本当に出すかどうかは、迷いに迷いました。
借金に借金を重ねて、周りは賛成してくれないし、またいつ地震が起きるかもわからない。
夜中に汗をびっしょりかいて目が覚めたりして、正直な話、お金絡みで自ら命を絶ってしまう方の気持ちがわかりました。
――― かなり追い込まれていたのですね。
長谷川 いま思うと、あの時が一番怖かったですね・・・。
でもオープンして人気が出た途端に、周りの人たちもコロッと意見変えて、「俺も出そうと思ってたんだけどさー」なんて言ったりして、今では笑い話になってますけどね(笑)
(次回につづく→商店街で育った学生時代)
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【雄三通りで会える人 Plenty’sの長谷川さん】
・1話目 茅ヶ崎のアイスクリーム屋さんと言えばPlenty’s
・2話目 商店街で育った学生時代
・3話目 頼まれたら、引き受ける。
・4話目 毎日がスタートのお店を作りたい
▼インタビュー:亀井有希(Facebook / Instagram)
2012年、茅ヶ崎市に移住。一児の女の子の母。テーブルウェアデザイン&コーディネーター。and Karentを主宰し、ポーセラーツの製作・販売を行う。湘南で海を感じて暮らしヘルシーな日々を楽しむ女史たちの湘南healthistaで活動(ライフスタイル提案型MerMarcheで定期的にイベント実施)。
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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