【創作そば なぁるの山崎祥平さん】サラリーマン、自衛隊を経て、蕎麦屋の店主へ
※前回の記事はこちら → 興味の足し算で生まれた「洋風蕎麦」で、蕎麦の概念を変えたい。
■脱サラして、自衛隊に入隊
――― 前回、お蕎麦への熱い想いを伺いましたが、これまでも蕎麦屋一本できたのでしょうか。
山崎 いやいや、これまでは畑違いのサラリーマンでした。
とにかく機械をいじるのが好きだったのでキャノンで働いていたのですが、それに飽き足らず飛行機が触りたくなって(笑)
――― スケールがドンと大きくなりましたね。
山崎 飛行機の整備士になりたくなっちゃったんですよね。
ただ自分は高専で大学出てないし、民間の飛行機会社に入社は無理かなと諦めかけていたら…あったんですよ、自衛隊という道が(笑)
――― 自衛隊で整備士の募集があるということですか。
山崎 いや、まずは自衛隊に入隊するんです。
広島県呉市で半年間の厳しい基礎訓練をし、その後に航空機の整備の職種に希望を出して整備員になれました。
――― すごい。夢が叶ったんですね!
山崎 夢、叶いましたね(笑)
それは楽しかったっすね。自分が触ったエンジンで空を飛んでる!みたいな。
――― 夢の仕事に就かれたあと、どうしてお辞めになったのですか。
山崎 自分は自衛隊にいた頃に結婚したんですね。
妻が東京、僕が山口で転勤も難しく、このままだと別居婚になってしまうので、思い切って自衛隊を辞めました。
■義母と自分の夢を叶える
――― そこから飲食の道に?
山崎 後付けに聞こえるかもしれないですが、学生の頃からバーテンダーとか飲食業には興味があったんです。
で、たまたま義理の母が福島で蕎麦職人をしていて。
――― なるほど、そこからお蕎麦なんですね。
山崎 それで義母から「60歳を機に自分の店を持ちたいけど、現実的に無理だ」っていう話があり、「じゃあ一緒にやりませんか」ということで、神楽坂に義母の蕎麦屋を出したんです。
――― すごい展開です。
山崎 自分にとっても学生の頃からの夢が叶う話だったので、嬉しかったですね。
義理の母から蕎麦打ちを教えてもらい、その後独立という形で銀座に店を出して、いまは茅ヶ崎っていう。
――― お義母様仕込みの製法が今に受け継がれているんですね。
山崎 はい、茅ヶ崎のお店も義母の製法を基本にしています。そこに銀座でやっていた洋風の要素も加えています。
茅ヶ崎に来てまだ1年ですが、蕎麦を通じて茅ヶ崎の皆様に愛される店になれればと本当に思います。
――― 今後の展望はありますか。
山崎 ずっと先の話ですが、いつか海外でやりたいですね。洋風蕎麦で海外に勝負を仕掛けたいなと。
それこそ日本蕎麦とその土地のオリーブオイル使ったら面白いと思うんです。
でもまずは、ここで頑張るしかないと!
――― ぜひ茅ヶ崎の皆さんに味わっていただきたいです。インタビューは以上です。ありがとうございました。
(おしまい)
▼インタビュー 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年に茅ヶ崎市に移住し、2017年に「エキウミ」を立ち上げる。東海岸商店会の公式サイトの運営や、m'no【エムノ】のWEBマーケ、記事の寄稿も行う(SUUMOタウン、Gyoppy!、ARUHIマガジンほか)。
▼編集 瀬野尾友美
東京出身。これまで他拠点でウェディングプランナー、ホテルでのコンサルタントを経験。仕事だけの人生ではなく、より豊かな暮らしに興味を持つ。昨年末に退職後、縁もゆかりもなかった茅ヶ崎に移住。住んで1週間で茅ヶ崎の虜に。茅ヶ崎のマチ、ヒトの魅力を発進したいと思い立ち「エキウミ」に参加。
▼編集アシスタント 権藤勇太
エキウミインタビュー担当。平日は都内で法人向けの業務改善提案を行う営業マン。休日は緑に囲まれた茅ヶ崎で畑をいじったり、キャンプしたりフットサルをしたりのんびり生活をしている。消防団に入ったことをきっかけに、自分が使うお金がどこに流れて回っていくのか興味をもち商店街の活性化に2018年参加。
▼編集アシスタント 佐藤真司(Facebook)
1975年2月28日、神奈川県横浜市生まれ。小学校から高校まで野球、大学ではアメリカンフットボールの体育会系!生まれも育ちも横浜であったが、東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住し、4年間復興支援を行う。はじめての地方暮らしを経験し、人の温かさ、繋がりを経験し、いまは茅ヶ崎での心豊かな生活を目指している。
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