【コワーキングスペース チガラボの清水謙さん】企業や地域の課題解決をパラレルワークで循環させる
(前回の記事はこちら→越境体験でヒトのつながりからコトを生む)
――― 清水さんは2014年に「ヒトコトデザイン株式会社」を設立されましたが、それ以前のキャリアについて伺えますか。
清水 最初、私は就活中に新規事業をやれる会社を探していて、それができると謳っていた140人ぐらいの商社に入社しました。
結局そこでは新規事業を立ち上げるということもなく、実際にはダイヤモンドをイスラエルに買い付けに行くような仕事を4年ほどしていました。
――― いきなり濃い目の仕事ですね。
清水 はい。その後、ITのコンサルティングの仕事を経て、リクルートマネジメントソリューションズ(以下、RMS)という会社に入りました。
やはり新しいことを立ち上げたいという気持ちが残っていて、リクルート系はそういうことができそうなイメージがありました。
ただ、RMSでは入った組織が事業開発の担当ではなかったためコンサルティング部門に移り、そこから8年ほどは企業向けに人材育成や組織開発分野のコンサルティングをしていました。
――― 基本的には企業の人事がクライアントになるのでしょうか。
清水 人事だったり、人事企画だったり、経営者や経営企画とかもあります。
企業のビジョンや事業戦略をふまえた人材像づくりから、個別の問題解決まで、人と組織に関するさまざまなテーマの調査・提案・実行支援をしていく仕事でした。
↓リクルートマネジメントソリューションズ時代の清水さん(左端)
――― 現在のチガラボにも通じる話ですね。
清水 そうですね。ただやはり大企業を相手にしたコンサルティングで接する人たちは、社会全体の中で見るとごく一部で、その人たちじゃない社会がどこかにあるんだろうと思っていました。
2011年の東日本大震災のとき、家族の事情もあり何もできず気になっていたこともあり、独立・起業するならローカル・ソーシャルな領域で仕事をしていきたいと思うようになりました。
――― 退職から起業まではどのような流れだったのでしょうか。
清水 退職のタイミングは、年齢的に意識していた40歳のときでした。
その後、NPO法人ETIC.という社会起業家の育成などをしているNPOとの出会いがあり、そのつながりで東北の震災復興や地域に関わる人材育成のプログラムの企画・運営にも携わるようになったんですね。
そこで色々な地域を見ていくうちに、被災地や人口減少の激しい一見すると厳しい状況に置かれた地域で、リーダー的存在がそこかしこで生まれているのを知るようになりました。
そういう方々とつながり、学ばせていただく中で、自分の活動テーマやワークスタイルが少しずつ定まっていきました。
――― 現在はどのようなバランスで活動されているのでしょうか。
清水 茅ヶ崎でのNPOの農業・食関連の活動やチガラボで半分くらい、残りは、東京の企業のコンサルティング、東北など他地域の仕事です。
当初は、別々の動きだったのですが、異なる領域の人が一緒に考える機会をつくったり、コラボの取り組みが生まれたりと、つなげて混ぜ合わせる役割が、以前にも増して求められるようになってきたと感じています。
↓清水さんの活動領域
――― パラレルワークというか、複数の役割を同時並行で担っているのですね。
清水 さまざまな地域での知見やつながりを茅ヶ崎に持ち帰ってチガラボで実験をしたり、逆にチガラボの経験をコンサル業に活かしたりと、仕事を循環させているイメージです。
これらはそれぞれ別々のことをしているようで、実はどの活動も抽象化すると大切にしていることは一緒だったりします。
元をたどると会社員時代にマネジメントで悩んでいた頃、「自分がプレイヤーとしてメンバーを引っ張るのではなく、目指すビジョンを一方的に示すのでもなく、メンバー一人ひとりが自律的に先を描き、のびのびと動くスタイルが良いのではないだろうか」という気づきがあり、そのスタイルを昇華したものが全てに通じる考え方の元になっています。
――― 清水さんのバックボーンを伺うことで、よりチガラボのことが理解できました。次回は今後の展望について伺いたいと思います。
(次回につづく→人生100年時代の生き方・働き方の選択肢を広げて行きたい )
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▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。
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