【ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のyasmin camdzicさん】戦争から逃れるためのアメリカ移住と、娘のために自ら選んだ茅ヶ崎移住


今回、インタビューに応じてくださったYasmin Camdzicさんは、1980年にボスニア・ヘルツェゴビナ(生誕時はユーゴスラビア)で生まれ、15歳でアメリカに移り住み、34歳(約2年前)から茅ヶ崎市で住み始めました。


意外に思われる市民の方が多いのですが、茅ヶ崎市は神奈川県において人口に占める外国人の割合が実は「非常に少ない」街です。Yasminさんの茅ヶ崎における暮らしのお話には、茅ヶ崎がより多様性豊かな街になれるヒントが隠されていますので、ぜひ最後までご覧ください。(全2回)※インタビューは日本語に訳して記載しています




――― 本日はお時間をいただきありがとうございます。


Yasmin こちらこそ、ありがとうございます。 


――― まずは、茅ヶ崎に居住するまでの経緯について伺えますか。


Yasmin はい。私は1980年にユーゴスラビアで生まれ、途中で国名が「ボスニア・ヘルツェゴビナ」に変わりました。

生まれた国ではスポーツやコンピューターゲームは限られた人しかできないものだったので、子ども時代は友だちと外で遊んでばかりいました。


――― 途中で国の名前が変わったのですね。


Yasmin  ユーゴスラビア紛争が起き、国が解体されてしまったためです。私の家族は戦争から避難する際に、ヨーロッパの国々に行くことが叶わなかったので、遠いアメリカの地に移住することになりました。

アメリカはすごく遠かったので、親戚や友人とも連絡がとれなくなってしまい、15歳の私としては辛かった記憶があります。


――― アメリカのどこに移住されたのですか。 


Yasmin アリゾナ州です。
財産をほとんど持たずに避難せざるを得なかったので、私は16歳から仕事を始めました。

34歳で茅ヶ崎に来るまでは、建築企画の会社で働いたり、ソーラーパネルを作る会社で働いたりしました。


――― その後、なぜ茅ヶ崎に移住しようと思われたのでしょうか。 


Yasmin 2004年にいまの妻とクラブで出会い、2006年に彼女が生まれた国である日本に旅行に行ったのですが、そのときに茅ヶ崎にも滞在し、この街がとても気に入りました。

そして2年前に茅ヶ崎市への移住を決断した一番の理由は、娘の人生を考えたとき、彼女のアイデンティティをどこで育むかということを考えたとき、日本が良いと思ったからです。


▼Yasminさんの居住歴 


――― その「アイデンティティ」について少し詳しく伺えますか。 


Yasmin 私はアメリカで過ごしていたとき、アメリカの文化が私にはあまり合わないと感じていました。

アメリカは様々な国の文化がミックスされていて、めまぐるしく変化をしていきます。

それが良いところでもあるのですが、私にとっては慌しすぎる印象を受けていました。

そういう意味では日本は安全で、歴史も古く、勤勉な文化で落ち着きもあるので、私には合っていると思いましたし、娘にも日本の文化のもとでアイデンティティを育んで欲しいと感じました。


――― なるほど。


Yasmin 私はあまり遠い将来のことは考えませんが、娘が自立する日は一つのゴールだと思っています。

娘が将来、日本に住み続けるか、海外に移住するかはわかりませんが、どちらになっても良いように日本語と英語は両方使えるような教育環境は用意してあげたいですね。


――― 茅ヶ崎に住まれるようになってからは、どんなお仕事をされているのでしょうか。 


Yasmin この茅ヶ崎という街は好きなのですが、一方で私は日本語が得意ではないので、ここでの職探しには苦労しました。

最初はスポーツジムで掃除の仕事などをしていたのですが、体力的にもキツかったですし、アメリカで働いていた頃に比べ給与もはるかに低かったこともあって長続きはしませんでした。

ただ、私がそこで感銘を受けたのは、同僚の女性たちの働き方です。

アメリカでは、部屋のクリーニングや、レストランでのホールスタッフのような仕事を「何かをするまでのステップ」と考える方が大多数で、その仕事自体に対して前向きに取り組んでいる方はごく稀です。

しかし私が茅ヶ崎で働いていたスポーツジムでは、皆さんすごく勤勉に、前向きに仕事をされているのが印象的でした。


――― それもアメリカと日本の文化の違いの一つなのですね。 


Yasmin はい、もちろん様々な方がいるので一括りにすることはできないと思いますが、その時は本当に素晴らしいと感じました。

そのあと少しだけ英語教師の仕事もしたり、あとは妻が仕事をして、私が家で家事や子どもの世話をするということも試したりしてみましたが、これも私にとってはモチベーションを保つのが難しかったです。

幸いにも2年前に東京で外資系企業向けのリクルーティングの仕事を見つけられたので、いまは楽しく仕事ができています。


――― なるほど。たしかに茅ヶ崎で英語のみを使う仕事はほとんどないと思いますが、東京に通える地域でもあるので選択肢が広がったのですね。次回は茅ヶ崎での暮らし方と、雄三通りに関連したことについても伺いたいと思います。


(次回につづく→リラックスできる茅ヶ崎ライフと、外国人が茅ヶ崎で生活するということ) 


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▼インタビュー・編集 小野寺将人(BlogFacebook / Twitter

2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。


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