エキウミ:茅ヶ崎駅と海をつなぐ雄三通り

エキウミは、茅ヶ崎駅の南口と海を一直線に繋ぐ「雄三通り」を中心に、茅ヶ崎で「働く人」と「住む人」を繋ぐサイトです。

記事一覧(104)

【川廷昌弘さん:CEPAジャパン編】社会的接点は多いほうが良い。南方熊楠シンポジウム&写真展に向けて。

(前回の記事はこちら→写真家編②:写真家として死にたい。三重県の林業家「速水林業」との出会い。)――― 今回が川廷さんインタビューの最終回ですので、今後の展望について伺えますか。川廷 そうですね、まず人生100年時代なんてことも言われていますが、自分の軸を大切に今後も枠組みを越えながら様々なことをやっていけたらとは思っています。やはり社会的接点が多いほど視野も広がりますし、それぞれの領域に返せることも増えるじゃないですか。――― はい。川廷 これまでの話を読んでいただければお気づきいただけるかと思いますが、自分の言葉で「行って来い」ができていると思うんですよね。あの名刺で知り得たことが、この名刺で活かされるというように、違うことをしているようで、すべてが繋がっているんですよね。それぞれの活動は、知識や人脈という部分での繋がり以外にも、スキル面でもお互いに活かせてくる部分は大いにあります。――― スキル面もですか。 川廷 例えば写真で言うところの「俯瞰」と「フォーカス」という視点・スキルは、仕事における、会議やプロジェクトを風景として俯瞰してみること、そして発言や要点にフォーカスして文脈を構築するということに通じます。――― 写真で培われたスキルが、仕事にも活きるんですね。川廷 あと直近の展望で言えば、「南方熊楠(みなかたくまぐす)」に関わる活動が活発化しそうです。↓田辺市に残る南方熊楠邸 

【東海岸小学校区 青少年育成推進協議会の今泉勲さん②】まちぢから協議会で地域貢献。自治会に入っていない方とも繋がりを持つ。

(前回の記事はこちら→地域から子どもの安全安心を守る。より安全な自転車の親子走行方法を知っていますか?)――― 前回、子どもたちのためのご活動を伺いましたが、今泉さんは同時に「まちぢから協議会」にもご参加されていますよね。今泉 はい。「東海岸小学校区 青少年育成推進協議会」の会長という立場で、海岸地区の「まちぢから協議会」に参加し、役員を務めております。――― 「まちぢから協議会」について詳しく知らない茅ヶ崎市民もいると思いますので、簡単にご説明いただけますか。今泉 まず、地域の組織といえば自治会がありますよね。基本的には各地区の自治会の集まりによって市民自治は行われるものですが、中には自治会に入っていない方もおられます。――― はい。今泉 ただ当然ながら自治会に入っていない方も市民ですので、そういった方々を含めた繋がりが必要だろうと。そういった趣旨で、茅ヶ崎市が「まちぢから協議会」の仕組みを進めています。――― なるほど。つまり自治会単位ではなく、住民全員を対象にものごとを考える組織ということですね。今泉 そうです。発足の経緯はいま申し上げた通りなのですが、目下の課題は繋がり方、情報の届け方です。自治会ならば回覧板がありますが、全住民となるとなかなか難しいものがあります。手段としてはまず広報紙やインターネットが思いつきますが、インターネットを利用されない方もいらっしゃいますので、例えば街中に掲示板を用意するなどアナログな方法も検討しなければなりません。――― なるほど。今泉 これからより具体的な取り組みの検討が進んでいきますが、住民にとってより身近なものにしていけるよう努めていきますので、ぜひ関心を持っていただければと思います。――― こうして運用している方の顔が見えると、より身近になりますね。ちなみに今泉さんは地域のことに取り組まれていますが、もともとお仕事はどんなことをされていたのでしょうか。今泉 最初は建築の設計事務所に入って、そのあとにソフトウェアを扱う会社でCADを学ぼうとしたのですが、それは時代的にちょっと早すぎました。↓設計事務所で働いていた頃の今泉さん(1976年)

【STORY】 湘南を愛し、パン職人を目指した人生のチャレンジ

(前回の記事はこちら→素材の持ち味を生かした伝統的な製法で。毎日食べ続けられる、地域にずっと根付き続けるパンを。「B-grotto」)若くして感じ取っていた職人気質。波乗りパン職人、茅ヶ崎へ。シェフの石井幸男さんは、東京都立川市生まれ。「まさか自分がパン屋を開業するとは。」と言うシェフ。もともとパンに興味があるというよりかは、母親がたまにパンを作っていたこともあり、そのパンが好きだったことがルーツにあるようだ。
学生時代、勉学の時間を作るために朝早くからアルバイトができる環境を捜し求め、立川のパン屋でアルバイトを始める。
具材やドーナツを揚げる仕事がメインで、生地作りにも興味があったが当時はそこまでは至らなかった。やがて、日々の真面目な働きぶりから、店長に就職を勧められる。勧められた職は、営業職や卸し業者の紹介だったため、職人肌を自ら感じとっていた石井シェフは作り手を選択し、その後社員となり、パン職人としての一歩を踏み出す。その後、立川のパン屋で4年勤めたが、「パン職人としては若かったので修行という感じではなく、日々仕事をこなす状況だった」という石井シェフ。しかし、パンを美しく作る職人だった店長のもと、ただただ学ぶことが多かった。やがて自分で作りたいパンを作りたいという想いが目覚め始めた石井シェフは、決断する。パンを作れるならどこへでも行ける。いつか店を持つなら、立川に勤めながらも湘南まで通っていたという趣味のサーフィンも楽しめる環境にと選んだのが、茅ヶ崎だった。 
そして、当時湘南でパン屋といったらと言われる名店、鎌倉山の「ボンジュール」の門を叩く。