【防災士の古島真子さん #1】防災をHAPPYに伝える!防災意識を変えてくれた陸前高田市での出会い

茅ヶ崎に住むユニークな方を紹介する「茅ヶ崎で暮らす人」。防災士として活動されている古島真子(ふるしままこ)さんにご登場いただきます。

国際協力とファッションに興味があった古島さんが、なぜ「防災士」になったのか。防災活動をするきっかけまでのお話です。ぜひ最後までお読みください。(全2話)


■サステナブルファッションと防災士


佐藤(インタビュアー): まずは古島さんの自己紹介をお願いします


古島氏:サステナブルファッションに関する教育やコンサルティングを行う一般社団法人unistepsで仕事する傍ら、防災を楽しくHAPPYに伝える防災士として活動をしています。


佐藤:サステナブルファッションと防災士、面白い組み合わせですね。


古島氏:先に関心を持ったのはサステナブルファッションでした。

大学でファッション産業は環境負荷や労働者人権の課題があると知ったんです。自分が好きで買っているものが、遠くの誰かや地球を傷つけて成り立っているのが嫌だなと思うようになりました。


■東日本大震災と陸前高田市での活動


佐藤:防災とはどう繋がるのでしょうか?


古島氏: 大学では国際協力の学部に入ったのですが、大学1年生のとき東日本大震災が起きたんです。翌月には学部の先生たちが先に被災地入りをして、その後に私たち学生も陸前高田市に行くことになりました。


佐藤:なるほど、それで被災地支援に関わることになったのですね。


古島氏:はい。瓦礫撤去のような力仕事は難しかったので、被災地域の方たちのお話を聞く「傾聴ボランティア」を提案しました。それで大学のプログラムとして定期的に通わせてもらうことになったんです。


↓仮設住宅での「お茶っこ会」と夏祭りイベントの様子


古島氏: 2年ほど通った2013年には、「大事な祭りがあるから来い」と言われました。それが陸前高田市で数百年続く「うごく七夕まつり」だったんです。


うごく七夕まつりに参加

佐藤:写真を見ると、大がかりなお祭りですね。

古島氏:もともとは先祖供養をするために始まったのですが、現在は東日本大震災で犠牲になった方々への鎮魂と、復興支援に対する感謝の意味もあります。そのお祭りに参加したとき、すごく感動したんですよね。


■「私、防災を何もやってない!」


古島氏:何回かお祭りに参加するうちに、地域の方々が、普段は見せない想いを語ってくれるようになりました。


佐藤:どんなことでしょうか。


古島氏:開催地の8割が流され、亡くなった中心メンバーもいて。それでもお祭りは「みんなでやろう!」と団結してやってこられたと。いつもはフレンドリーに話しかけてくれる人たちも、いろんな過去をもちながら、優しく強く生きている。その姿に、グッときました。

そんな方々が、被災の体験談とともに「地震が来たら、ちゃんと逃げるんだよ」と話してくださって。そこでようやく、「私、防災を何もやってない!」って気づいたんです。


(次回につづく→10人10色、100人100色の個性があるように、防災も「カラフル」であるべき


▼インタビュー・編集 佐藤真司(Facebook

1975年2月28日、神奈川県横浜市生まれ。小学校から高校まで野球、大学ではアメリカンフットボールの体育会系!生まれも育ちも横浜であったが、東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住し、4年間復興支援を行う。はじめての地方暮らしを経験し、人の温かさ、繋がりを経験し、いまは茅ヶ崎を終の棲家として、心豊かな生活をしている。


▼編集 はつこ(TwitternoteInstagram

1995年生まれ。茅ヶ崎出身のフリーライター。大学卒業後、EC事業者に入社。2018年にフリーランスへ転身。主に商品やサービスの紹介記事を執筆。noteにてコラム、エッセイ、小説を更新。38℃を文章の設定温度とし、熱すぎず、半身浴のようにじんわりあたたまる伝え方を研究中。


▼編集 小野寺将人(Facebook / Twitter

2015年に茅ヶ崎に移住し、2017年に「エキウミ」を立ち上げる。地域密着店のネット活用をお手伝いする株式会社KYOEI(キョウエイ)の代表。

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