【川廷昌弘さん:写真家編①】阪神淡路大震災で被災を経験。生まれ育った芦屋市の復興を撮る。


(前回の記事はこちら→博報堂DYホールディングス編:持続可能な社会の実現へ。SDGs(エスディージーズ)の日本語化を推進。


――― 「雄三通りの木の家」編で、川廷さんが兵庫県芦屋市のご出身であるというお話がありましたが、どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。


川廷 私の父がもともとテニスプレイヤーで、そこからテニス写真家になったんですね。

父は世界中のテニスの大会に行くので、年間300日は家を空けているような人でした。


――― あまり家にいなかったのですね。


川廷 だから私の子ども時代は、父がいない時間が多かったという印象があります。

だからと言って父を嫌っているわけではなく、むしろテニスの本場からテニス文化をアジアに根付かせるような活動をしている父を尊敬していました。


↓少年時代の川廷さん。1967年8月、芦屋国際ローンテニス倶楽部にて。撮影者は父。 


――― はい。


川廷 次第に父はテニスの大会運営の仕事もするようになり、まだ中国と韓国の国交がない時代に、スポーツ外交となる大会運営をしたことがありました。

レセプションパーティでは選手団が緊張しているなかで、父が日本語で「幸せなら手をたたこう」を歌ったらしいんですね。


――― 日本語で。


川廷 そう、日本語だからみんな歌えないし理解できないじゃないですか。

でも、みんなが手をたたいたり、足を踏み鳴らしたり、一気に盛り上がったらしいんです。

母から「あの歌を歌うような人じゃないお父さんが、歌ったのよ」って聞かされました。


――― 素敵な話です。


川廷 そんな父の影響もあってか、私も写真を撮ることを自然なこととして受け入れていました。

会社勤務のかたわら写真学校の夜間部に通って、個展も数多く開催しています。

1995年、当時私は関西支社勤務で実家から通っていたのですが、そのときに阪神淡路大震災を経験しました。 



――― 川廷さんも被災されたのですね。


川廷 タンスの下敷きになりました。そして自分の生まれ育った芦屋市が瓦礫の町になったのを目の当たりにしました。

わずか数十秒の出来事で、街が一変したんです。

呆然とした頭でぼんやりと「自分にできることはなんだろう」と考えたとき、「芦屋市を、被災者の立場で撮れるのは自分しかいないかも知れない」という気持ちが生まれました。


――― たしかにそうかも知れません。


川廷 外に出て瓦礫にカメラを向けていると、後ろから頭を「バシーン!」と叩かれて、「お前なに撮っとんのや!」と怒鳴られました。

「そこは俺の家やぞ。撮るな!」と。
私はただただ謝って、その場を去るしかありませんでした。

 


川廷 その後も何度か怒鳴られ、自分も被災者のひとりでしたから、さすがに少しまいってきました。

「自分がやっていることは間違っているのか?」という考えと、「いや、写真の本質は記録だ。」という考えが交互に浮かんで、悩みに悩みました。


――― はい。


川廷 歩いていると、破裂した水道管から水が噴き出していて、そこに西日が差していました。

私はしゃがんで、水道管にカメラを向けていると、後ろから視線を感じて振り返りました。

そこには、タンスを抱えたおじさんが立っていて、おもむろにこう言いました。

「あなたのやっていることは大切なことだと思います」


――― それは、救いですね。 


川廷 もうボロボロ泣いて、「ありがとうございます」と何度も言いました。

そのとき初めてエールを送ってもらえたんですね。

「写真を撮ることは間違ってないと信じよう、芦屋市の姿を記録として撮影しよう」と心に決めました。


――― その後も写真を撮り続けたのですね。


川廷 私は芦屋市の姿について考えて、芦屋市らしい風景として桜のある風景を一つのテーマにしようと決めました。

震災は1995年1月に発生して、その年の4月に桜が咲いていたかどうか、覚えていないということに気がついたんです。

きっと咲いていたと思うんですけど、覚えてないなと。

その時点で「一年後の桜」という写真集のタイトルも決めて、懇意にしていた芦屋市立美術博物館の学芸課長さんに会いに行ったんですね。

「私はこういうテーマで写真を撮るので仕上がったら見てください」って。

 


――― 先に宣言をしたと。


川廷 はい。撮ってから気づきましたが、震災後は下を向いて撮影していたような感覚だったのでが、桜を見上げるように撮るようになって、だんだんと「復興」をテーマに撮るという気持ちになっていって。

1995年の地震発生から10年後、2005年に「一年後の桜」という写真集を出しました。 



――― 10年の年月が経ったのですね。


川廷 これは芦屋市の復興に添い続けると同時に、写真を通じて自分自身と向き合う経験でした。

そして「一年後の桜」を出してから2年後には、同じく10年の年月をかけた湘南の写真集「白杭の季節」も発刊しました。

写真家として、自分と向き合う日々はこれからも続いて行くと思います。

 




▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter

2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。

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