茅ヶ崎のまさと

茅ヶ崎のまさとです。

記事一覧(153)

【マルシェ研究家の渡辺一心さん】夢は茅ヶ崎に自分の八百屋とマルシェをつくること。

(前回の記事はこちら→茅ヶ崎には理想のマルシェがある。ストーリーを大切にしたマルシェを運営。)――― 渡辺さんは茅ヶ崎生まれですか。渡辺 はい。茅ヶ崎生まれ、茅ヶ崎育ちで、高校生の頃には既にマルシェのことが気になっていました。――― どうしてマルシェのことが気になったのでしょうか。渡辺 あの、突然ですがKICK THE CAN CREWさんの「マルシェ」っていう曲をご存知ですか?――― えーと・・・どんな歌ですか?渡辺 有名なフレーズだと「上がってんの?下がってんの?皆はっきり言っとけ!」っていうところで。――― あー!はい、もちろん知っています。あれマルシェっていうタイトルなんですね。渡辺 そうなんです。あの歌詞には「幸せ」っていうフレーズが出てくるんですけど、高校生の頃に「幸せってなんだろう」っていうことを考えたときに、マルシェって「地域で直に幸せが届けられる場所なんだろうな」って。現実にそんな世界が作れたら面白いだろうな・・・っていうことをその時になぜだか思ったんです(笑)――― あの歌を聴いて、そんな幸せの象徴として「マルシェ」を想像していた人ってそんなに多くなかったと思うんですけど、渡辺さんはそう思われたんですね。渡辺 そうですよね(笑)ちなみにマルシェのCDパッケージには日本の国旗がデザインされているんですけど、マルシェってフランス語だから、それを日本風にアレンジしたらこういう歌詞のような世界なのかなって思ったんですよね。↓マルシェのCDパッケージ(公式サイトより転載)

【茅ヶ崎市観光協会の新谷雅之さん】そして天狗になる。

(前回の記事はこちら→なにも考えてなかったし、とにかくいい加減だった。)■牛とか豚の世話をしてれば良いかと思いきや――― 前回、新谷さんの学生時代のお話を伺いましたが、大学卒業後はどうされたのでしょうか。新谷 北陵高校時代の同級生が「寒川で農協の仕事があるけど新谷どう?」って誘ってくれたんです。でも私は農協のことなんてなにも知らないから「牛とか豚の世話してれば良いのかな」とか「それなら暇なときに好きなドラム叩いてられるかも」とか、しょうもないことを思っていたんです。――― (笑)新谷 それで農協の入社試験を受けたんですけど、当時の入社試験には「そろばん」があって、私がそんなのできるわけないじゃないですか。だから試験中はそろばんをドラムのスティックに見立てて、シャカシャカリズムとって時間潰してるような感じだったんですけど、なぜか入社できちゃって(笑)――― めちゃくちゃですね(笑)新谷 入社できたのもびっくりなんですけど、入ってみたらJA共済とかJA貯金とか、そういう金融関係の営業の仕事を与えらて、もっとびっくりしました。ぜんぜん牛や豚の世話をする仕事なんてないんですよ(笑)――― あわよくばドラム叩いてようと思ってたら、いきなり金融商品を売ることになったんですね(笑)■新たな営業手法の開拓

【茅ヶ崎市観光協会の新谷雅之さん】なにも考えてなかったし、とにかくいい加減だった。

(前回の記事はこちら→茅ヶ崎の大規模イベント仕掛人。)■通学時間で鍛えられた――― 新谷さんのご出身はどちらでしょうか。新谷 私の生まれは長野県で、鎌倉市で育ちました。小中と鎌倉市だったのでそのまま高校も鎌倉高校に行こうと思ったんですけど、親から「お前はあそこに行ったら遊ぶから」って言われて茅ヶ崎の北陵高校っていう厳しいところに行ったんですね。――― 寒川町とほぼ隣接しているところですね。新谷 はい。その北陵高校に行くのがとにかく大変で。①家からバスで鎌倉駅まで行って、②鎌倉駅から横須賀線で大船駅、③大船駅から東海道線で茅ヶ崎駅、④茅ヶ崎駅から相模線で香川駅、⑤香川駅から北陵高校まで15分ぐらい歩くと。しかも相模線は一時間に一本ぐらいしか電車が来ないので、まともに学校なんて行ってらんないわけですよ。――― それは大人でも大変ですね。新谷 だから香川駅に香川交通っていうタクシー会社があるんですけど、似たような連中と集まって乗り合いタクシーで高校に行くこともありました。――― さすがですね(笑)新谷 それで、家まで帰るのに同じコースを戻らなきゃいけないじゃないですか。今度はなにが大変かって、茅ヶ崎駅、辻堂駅、藤沢駅、北鎌倉駅で元気の良い連中が乗ってくるもんだから、もう気の休まる暇がないんですよ(笑)――― 新谷さんも、やんちゃな方だったんじゃないですか。新谷 まあなんと言いますか、学生時代は・・・私もちょっとだけワルかったんですよ。特に私なんてこういう見た目だから、やっぱり気をつけないといけなくて(笑)気を抜くといきなり後ろから叩かれて、目が覚めたら身ぐるみはがされてた、みたいなこともあるんで、そこで結構鍛えられました。――― 通学時間で鍛えられるというのはなかなかですね(笑)■社長になりたい――― 高校卒業後は進学されたのでしょうか。新谷 高校を卒業するときに、周りは「大学に行く」と言い出すじゃないですか。私は勉強もしてないし、どうしようかなって考えて。で、なにを思ったかバイトをして買ったギターを持って、知り合いの紹介でとりあえず北海道まで旅に出ちゃったんですよ。――― いきなり北海道ですか。新谷 まあそういうことがしたかったんでしょうね(笑)旅の途中で泊まるユースホステルには、「ミーティング」っていうお客さん同士が夕食を一緒に食べて歌って騒いで過ごす、みたいなことがあったんですよ。そこでギターを弾いて、みんなで歌って、みたいなことをしてました。――― 存分に旅をしたんですね。新谷 そういう寄り道をしながら、あるとき「社長になりたい」っていうことを思いついて、浪人してから日本大学の商学部経営学科に入ったんです。普通は、「〇〇がやりたいから社長になりたい」って思うものじゃないですか。でも私の場合は別に深い理由なんてなくて、とにかく「社長」っていうのが先にあっただけ。なにも考えてなかったし、とにかくいい加減だったんですよ。――― でも日大に入ってからは、社長になるべく経営の勉強されたんですか。新谷 いやそれが、当時は学園紛争のちょっと後の時代で、よく大学が休校になったんですよ。「ロックアウト」っていうんですけど、大学が新聞の朝刊に「本日は休校です」っていうのを載せるんです。学校にロックアウトされちゃうと、みんな勉強したくてもできなかったんですよね。それで学校に行かなくても単位がもらえちゃうから、大学のバンドでドラム叩いてたらそれで四年間終わっちゃって。↓当時の新谷さん

【ローカルファーストの淺野真澄さん】ローカルファーストを日本各地に広げていきたい。

(前回の記事はこちら→毎日100人来店!商店街の「空き店舗事業」は、地域事業者へのメッセージ。)■本業はビルの管理・運営――― 現在の淺野さんのご活動は、ローカルファーストがメインでしょうか。淺野 実は私、本業はローカルファーストじゃないんですよ(笑)――― え、違うんですか!?淺野 私はビルの管理・運営会社をやらせていただいていますので、そちらが本業なんです。――― それは知りませんでした。ちなみにどんなビルを管理・運営されているんでしょうか。淺野 「茅ヶ崎メディカルケアセンター」という13階建ての福祉ビルや、浜之郷にある15部屋あるマンション、湯快爽快、ベルマーレコンディショニングセンターなど・・・いろいろです。なので、ローカルファーストの仕事は、あくまで副業という位置づけなんです。■キャリア――― なんと(笑)仕事といえば前回、淺野さんはCA(キャビンアテンダント)をされていたり、モールのインフォメーションで働かれていたりしたというお話もありました。淺野 はい。最初のお仕事がCAなんですけど、それは小学生のときに「スチュワーデス物語」の堀ちえみさんに憧れたからなんです(笑)10歳の時に書いたタイムカプセルには、「夢はスチュワーデスか、アナウンサーか、歌手」と書いてあって、昔からそういう人前に出る仕事に憧れがあったんだと思います。――― では、実際に小学生の頃の夢を叶えられたんですね。でもCAになるのは狭き門だったんじゃないですか。↓高校時代の淺野さん